漁師まち勝本浦
その歴史と風情を楽しむ
文責 松崎靖男
1.聖母宮と加藤清正
漁船がひしめく勝本港、ここに約400年前、湾内を埋め尽くす軍船が集結した。
閤秀吉の命により、日本各地から 文禄・慶長の役に召集された船々 で、朝鮮へ攻め入るためである。
その陣容は、 加藤清正 をはじめ、日本の錚々(そうそう)たる名の高い武将揃いであった。
加藤清正の逸話がある。……
図1.聖母宮(しょうもぐう)
図2.加藤清正が寄進した表門
図3.鍋島直茂が寄進した表門
図4.清正が寄進した当時の面影が残る絵葉書
2.馬蹄石(ばていせき)
神功皇后が、仲哀天皇9年(200)韓国の三韓(新羅、百済、高句麗)征伐のおり、
風待ちで勝本に立ち寄られました。
この地で乗馬姿にて、三韓の方向へ気合を入れて見詰められた時、馬にもその気持ちが伝わり、
馬の「ひずめ」を乗せていた石に穴が開いたと云われています。